Still life / Natura morta #013 について。
見捨てられたものの中に、美しいものがあるのだ。
戸嶋靖昌
旧タイトルのgarboは伊語で優雅・しとやか・繊細の意。
もうかれこれ10年ほど前、上記の言葉と出逢うこととなった。戸嶋靖昌は”汚い色はきれい””醜いものは美しい”と教えてくれた。この言葉と出逢って以来自分を支えてくれた。
2012年、心身ともに如何にもこうにもいかなくなった。リンゴであれば腐ったら、ダメになったら捨てることは許される。しかし、人間にはそれは許されない。価値や能力を認めてもらうように働かなくては社会の中では生きられない。一度社会から離れてからどのようにして入ったらいいのかわからなかった数年間があった。今ではなんとなしに溶け込んでいる。それは自分の努力ではなく許してくれない周りの人がいたからだ。”腐ったのなら捨てればいい”が人間には適用されないのは辛いものがある。必ずしも想定するような社会の中で生きなくてもいいと今は思える。
その間、金属で作品を作ることを辞めた。これは自分にとっては汚点なのだと思っている。どのようであっても一度決めたことを諦めたのだから。精神的に耐えられたのなら肉体的に大丈夫であったのなら今でも続けていたのかもしれない。結果的には今の私にとって絵を描いていることは悪いことではない。醜いものが美しいと、汚いものが綺麗だと言えるような生き方をしなければならない。そして、見捨てられるようなものの中にある美しさを見出したい。
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