Still life / Natura morta #016 について。
旧タイトルLemon(armonia)、armonia は伊語で和音・調和の意。
ひとつなので非和音を示すn.c.(nonchord)も考えました。そこにひとつだけ在るということが何もかもから切り離されている状態ではない、それ以前とその後も、もちろん現在も何かと関係して反応して作用いるからこそ在るわけなので。
独りだからといって寂しいということがあるのでしょうか。
確かに群れることに対して昔から抵抗がありこれまでいますが、最近よく思うことは時代が進めば絵画であったり、彫刻、文学、哲学、歴史も進む独りでいなければ多くを学び吸収或いは楽しむことはできないではないかと思うのです。人間とはそういったものに支えられているものでもあると思っている。もちろん、同じ時間/現代を生きる人たちを思うことは当然ではあるのだが、過去から現代まで残されてきたものを無視して生産だけを続けることはなんとも哀れである。それらを見ずに楽しむことなどなんと虚しいのであろうか。しかし、ある意味では現代的な行為かもしれない。
※追記
この作品は後日もう少し手を入れようと思い筆を入れ#025となりました。webのみでお楽しみください。
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