【 祝福を贈る者 – Hand series03 -】
F8(455 × 380㎜ ) Oil on canvas
2023.May
by tokio suzuki
レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」や「サルバトール・ムンディ」、「受胎告知」に見られる人差し指と中指を軽く天に向けて立てる手の形。ハンドサイン。これはおそらくは祝福を贈る形だと思います。
※wikipediaより出典
幸せになりたいと呟き、他者のことなんかより自分は幸せになりたいという人をよく見かけるようになりました。今、余裕がないのはわかるしそれはそれでいいのですが、そういう人は信用しないようにしています。自分が良ければそれでいい、あの人より誰より秀でていたい、何かしらでマウントを取りたがる、認められたいなど目立つように感じます。わずかでも隣人に何かを分け与えてあげるような、贈るような、そのようでなければどこまでも尖っていく社会になっていくように感じています。本当に人を思うことをしなくなった。人を貶めて自分の正当性を大衆に認めてもらおうというような投稿もSNSで話題になります。
自分も余裕がないなというのは感じています。フランスへ行ったこともそんなことをしている場合ではないという感じで行きたいタイミングではありませんでした。そんなことよりまずやることがある。しかし、自分が行けば達成されるものがあって、そのために自身を貫けなかったことがとても悔しく、しかし、そこにはらしさがあるように感じました。そのらしさが今のこの状況に影響していることも理解しています。
概ね個人のこうしたい/与えたい思いとこうしたい/受け取りたいにはズレがあるのでそういったことはとても難しいわけですが、そういう思いがあれば自身だけが良ければそれでいい他人は不幸でいいなんてことにはなりはしないのではないでしょうか。
もがくように埋もれないように溺れないように手を伸ばしている様にも見えます。私自身そのような状態なのかもしれません。