先日pragmata galleryへ作品を持っていきました。東京を離れてからいつもハブ的に経由地として訪れることはあったのですが、目的があって歩くのはなんだか久しぶりでした。夕方ごろに何だか列をなしているなという光景を横目に通り過ぎたら、そういえば有名なインド料理店が閉店するんだなとか、ちょっと休もうかと思って立ち寄った八重洲ブックセンターもそういえば閉店するんだったなとか、そうやって東京は日々変わっていくのですね。
pragmata galleryでは果物のシリーズを展示販売します。オーナーの目に留まるような何かを/気に入ってもらえる何かが作品にあるのか私にはわかりませんがそのように映っているということは喜ばしいことです。
私の作品の中に果物などの静物画が多いのは直接見て描けるからです。その変化するさまもずっと追うことができます。香りなどの見えないものを感じることもできます。
それとstill lifeという言葉も好きです。
Still lifeには「静かな命、生活、もの」という意味のある言葉です。これはドイツ語の”stilleben”(シュティルレーベン)から来ているとされています。それがアルプスを越えイタリア語では、”Natura morta”(ナツゥーラモラタ)、フランス語でも”Nature morte”「死んだ自然」という言い方に変わります。そういう解釈や感覚的な違いなどもやはり面白く、描き手はどのように理解し捉えているのかも見えてくるように感じています。
写真を見て描くのとはやはり感覚が/見え方が/解釈が/捉え方が違っています。写真を見て描くとどうしても追ってしまう癖があって、そうなってしまうと面白くない。そして、それを見ても面白くないのではないかと思っています。
最近は3月20日に発刊された「美術の窓」がちょうど野菜と果物特集だったのでそれを眺めています。
なんとなく当たり前だと思っていたので果物を描くことに対して深く考えてこなかったのですが、歴史的にはそれほど盛んには描かれない題材だったようです(貴族は自身の肖像画を部屋に飾る/欲しがるなどのことも絡むため)。
まだまだ知らないことはたくさんありますが、知識を取り入れることはもちろんですが描きながら捉えられたらと思っています。
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