20241231

2024年も残りわずかとなりました。などというのは好きではないのだけれど、大人というのはどうも区切ることや区別することが好きらしい。その慣わしに倣って。

2024年と言ったら10月のPragmataでの展示” Still “意外にはなく、2023年9月に東京へ越してからそのためだけに準備してきていたと思う。2023年は動こうと思った矢先、フランスへ行くことになり足踏みせざるを得ない状況であったのが本当に悔しいなと思った。フランスへ行けたこと自体はいいことではあったのだけれど、思い通りに動けないのは、な。

絵に関してはとにかく経験値が足りなかったので描くしかない生活だった。仕事もしながらではあったけれど。そして、他の展示を見ること、それは東京にいればこそ容易にできることでもあったのでやらないわけがない。26点描いて半分の13点を展示したのは、いろんな展示を見ていくうちに変化したおかげなのだと思う。

展示が終わった11月に仕事をどうするか、他部署からも来てほしいと異動の話もあったのだけれど、それまでの部署で仕事が継続ができないこと、異動先の環境に身体が合わないことなどがあったので年内で辞めることに。終わった途端そのように物事が動くことはなんともドラマ的に捉えることもできるのだけれど、そんなことはどうでもよいのだ。働いていればそのような空気を感じその先の予測は容易にできてしまう。年度末まで働くことができたなら、そこで辞めてビザの期限いっぱいは海外で絵を描くという計画が、それだけをずっと楽しみにやってきたのにできなくなったことの落胆は大きい。

それでもいつまでも落ち込んでいるわけにはいかず、仕事を辞めるのなら年内にも部屋を出なければならないという現実。仕事から帰っては住みたい部屋を検索し、突然現れた物件。ここ私がいく場所ですよねとなり神戸のいまの部屋に移ってきた。そんな一年。

正直2025年の予定はPragmataの前に詰めておきたかった。でもそれをしなかったのは/できなかったのはその先、2025年も同じ仕事をして同じ場所に住んでいるのだろうかという居場所への不安とフランスへ行くという計画を第一優先にしていたためで、その辺り2025年はどうしていくかをこれから考えながら動いていくことになる。いろんな経験を経たおかげなのか、歳を重ねることの恩恵なのか、いまのような状況でも不安なんかよりワクワクすることが勝ってしまっている。以前なら本当に不安でしかない状況であると思うのだが、どうしたものか、なんとか生きれるのではないかという感覚がある。どこで読んだか、千葉雅也の著書にだったか、生きる上で一か八かのギャンブルになるような状況はいけないというようなのを読んだ覚えがある。以前はそんなことの連続だったような気がするが、今回はそういうのとは違う感じがしている。根拠はないのだけれど。

なので、2025年はまだ未定ではありますが、これからもよろしくお願いいたします。


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