移民問題と私 というのを最近よく考えている。あまり変わらないよな、とか。その地域に住むということは、そこの文化を壊しているんじゃないかとか。 神戸はアートが栄えないとかアートが元気がないとか聞く。音楽なんかも神戸でLIVEやるよりちょっと行けば大阪だから、そっちでやったほうが多くの人たちに観てもらえるだろうとかあるようだけれど。アートに関しては、神戸独自のものが神戸らしいものというのか、そういうのが根付いているような感じがしている。アートコレクターから見たら世界的な市場とは色が違うだろうから、その視点では元気がないと感じられるかもしれないけれど、その地に生きる人たちがいてその地で創造する人がいてそうやって活動している、それを見ないと。 そういう点で、自分はその中で活動することがいいことなのかどうなのか、私も移民のようなものだから。これ、以前と似た感覚だなと思ったのが山形にいた時の感じ、あぁここに居てはいけないのだなというのがあった。この地の区画/輪から外れているというか、望まれていないのだなという感じ。望まれていたらやるのかといったら違う、望まれたことだけやるのなんてクソだけれど。私一人の動きで文化のバランスが崩れる/壊れるわけではないけれど、そっとしておきたいようなそういう感じ。
空気を読んだふりをして、流れを眺めては遠慮して、どこまでも引いて引いて引いて引いて、そうやって何処へいくのだろうか。
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