長く生きなければならないなんてことはないなと思う。先のために今を我慢する必要もない。そう考えられるのは抱えるものがないからで、家庭や子供があったり、社員を何人も抱える企業のトップであったりしたのなら、生きなければならない/生きようとするのだろう。技術や知識は長く続けることで蓄えられていくだろうから長く生きる必要はあるのだろうけれど、その他との摩擦によって消耗するものの方が多ければそこまで行き着くとは限らない。我慢する必要はあるのか、今の気持ちに蓋をしてやり過ごすことで失ってしまうものは膨大ではないだろうか。どうせなら満足するように生きてみるのも良いではないか。将来のため明日のためそんな不確実のもののために生きていいのか。
誕生日におめでとうはちょっと違うなと思う。強いていうなら、生きていてくれてありがとうの方が近い。きっと、その人がいるから生きていられる、今があるというような、最近はそんなふうに他者のことを考えるようになった。だからこそ生きられる、そんなふうにして今まで人類は生を繋いできたのではないだろうか。
今年11月のPragmataでの個展、次はないだろうという気持ちで臨みたい。次というのはPragmataだけのことではなく、全てのというか。そのくらいでないと面白いものにならないように感じている。今の仕事を辞めて少し集中して作品に取り組んでみたい。それで終わりでもいい。ここでの成功や名声などに価値はないだろう。本当は人生RTAなのではないか。あちら側に何があるのか。死への畏怖と興味。明日のためにとそのまま続けても将来なんてなさそうだ、そんな自分自身の危機感も抱えて生きている。もういいよ。そんなふうに今をやり過ごしている。
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