古に天地未だ剖れず、陰陽分れざりしとき、渾沌れたること鶏子の如くして、溟涬にして牙を含めり。
はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
日本書紀と聖書の冒頭部分。どちらも光と闇に別れるところから始まる。他にも世界各地の神話の始まりはどれも同じように始まる。光がいいとか、闇が悪いとかそういうことではなく分かれたことが大きな出来事であり、そこから物事は生まれるように思える。陽と陰、白と黒のようにどちらがいいというわけではなく、片方が存在すればもう一方も生まれる。作品において対象から生まれた影が私にとっての道標になる場面は多く、光だけがその役割を果たしてくれるわけではないだろう。
昨今、こちらが正しい、間違いであるというような成否や善悪を分けるような場面が非常に多い。暗い表情をしていれば明るくしていなくてはいけないというような場面は随分前からあった。最近はそれらがおかしいというか、そうでなくてもいいだろうと思える。暗い人は暗くて何故悪い。明るく生きなくてはいけないとなると天井に遠い人ほど暗いと判断されてしまう。少年誌の作品じゃないんだから。
昼は夜になり、かっこ悪いはかっこいい、白いは黒い。
美しいものは醜さを内側に孕んでいる/湛えているから美しいのだ。そう思っている。
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