20251129 : 仕方のなさ

 何気ない会社のミーティングでの話がきっかけで、最近仕方のなさということをよく考えている。

 本当はもっとこうしたいのだけれど、とか、これが欲しいのだけれど手が届かないから、であるとか仕方ないからこうする/これで代用している。というようなそんなことは、日常の身の回りに溢れていると思う。というか、おそらく生活は人間社会は仕方なくで築かれている。もしかしたら、人間が生きることの本質かもしれない。なんてことも。

 仕方がない、これがあるから社会で生きていられるところがある。それがあるからもっと良くしようとか、こうなりたいに向かえる。でも最近は、その仕方のなさを許せないという空気が人を生きづらくさせているように、そんなふうにも見える。仕事で高い目標を達成しようとか、もっと良くしようとかそういう環境の中にいると、仕方がないとほったらかされたものが目についた時、それを許せない/許せなさが生まれてしまうのかもしれない。

 仕方のなさがなければ、物事は生まれないだろう。形はもっと自由であろうし、そもそもそれがある必要すらない。完璧な形や完璧な絵画、完璧とはなんであろうか。

 生きるということは仕方のなさを引き受けている。その仕方のなさとどのように付き合うかはその人次第で、それによって生き方は変わっていくように思う。良くしようと努力することもできるだろうし、それでいいと受容れていくことだってできる。どんなふうに生きるかどうなりたいか、それは仕方なさから生まれているのかもしれない。

 結局何を言いたかったのだろうか。何かを始めて動く時、理想的なもの/こうなるまでは、や、もっと上手くなってからと思っていても、きっとその時はいつまでも訪れないのだろうなということだろうか。ある程度形にする必要はあるけれど、完璧になんてならない。その仕方なさと付き合いながら/仕方のなさを引き摺りながら逐次目まぐるしく変わりゆく理想や完成形に向かっていくしかないのではないかと思っている。


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